プロフィール

はじめまして

クリスタルライフのホームページへ ようこそ!
代表取締役の澤村眞由美です。

 

私はご縁いただく方とのつながりや信頼関係を とても大切に考えています。
私自身 初対面の方に対しては どのような方なのかを知りたいと思います。

ですので まずは私自身を知っていただきたいと思い このプロフィールを作成いたしました。

長文ではありますが 最後までご覧いただき 私がどのような人間であるかを知っていただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。


名前

澤村 眞由美(旧姓 北田)

出身地

大阪市平野区(北海道弁と関西弁のバイリンガルです)

居住地

北海道の空の玄関口と呼ばれる千歳市です。
新千歳空港からとても近く 友人が北海道へ来られる際には 空港へよく会いに行きます。

生年月日

1963年2月6日

血液型

0型

星座

水瓶座

干支

卯年

家族構成

息子28歳・娘26歳・娘23歳
息子は結婚し2歳になる孫娘の成長に とても癒されています。

資格

・ウェルスダイナミクス シニアトレーナー(日本で10名のひとり)
・バースカラーアカデミー インストラクター
・ほめ育インストラクター

出身校

大阪府立阪南高校
大阪成蹊女子短期大学初等教育学科

趣味

・ドライブ
・カラオケ

好きな言葉

誠実(自分にも周りの方に対しても こうありたいと考えています)

好きな食べ物

・エビ!!
・パイナップル


どんな人生を歩んできたか

【誕生〜小学生】

1963年2月6日に 大阪府守口市の病院にて 北田家に3つ違いの兄の後の 長女として生まれる。

 

股関節亜脱臼で生まれ 3ヶ月の時からギブスをはめ 重い私を抱っこして病院に通ってくれた両親のおかげで 普通に元気に歩けるようになりました。

 

小さい頃からいわゆる《内弁慶》で 親しい人の中では少しずつ自分を出せるようになるものの 大勢の中では引っ込み思案で なかなか発言もできませんでした。

 

幼稚園児の時には お遊戯の練習の途中で トイレに行きたかったのに言い出せず おもらしをしてしまったり 小学1年生の時には いつも忘れ物をしてくる同級生が先生に叱られている姿を見て『忘れ物をしたらどうしよう・・・』と不安で なかなか学校へ行けなかったことも。

 

小学生の頃は クラスで一番背が高く(今からは想像ができませんが 笑)落ち着いていることから 学級委員などを任せられることもありました。

 

クラスの中心にいて 自分の思いを奔放に出せるような人に憧れると同時に 自分勝手な(自己中心的な)言動を見ると イラッとする場面も。

 

 

【中学時代】

中学入学とともに 剣道部に入りたくて親と衝突

 

子どもの頃から体を動かすことが好きで 好きな授業は体育でした。

おてんばな私をおとなしくさせようと 両親(特に母)からピアノ・生花・お茶を習わされていました。(でも親が悲しむと思うと 嫌と言えず)

 

ピアノ自体を弾くことは楽しかったのですが 課題曲を練習することが嫌で 毎回のレッスンでは叱られてばかり。

 

「剣道部に入ると 指を痛めるからダメ!」とピアノの先生に言われ どちらかを選ばなくてはいけないのならと 親の反対を押し切り剣道部へ。

 

考えてみると 3歳違いの兄が奔放にわがままを通し 親に心配や負担をかけている姿を見ている中で『私はしっかりして 親を喜ばせなくては。』と 常に《いい子ちゃん》で生きてきていました。

 

小学校の卒業文集で「私は北海道の牧場で暮らします!」と書いていたのも そんな生き方が苦しく感じていたからかもしれません。

 

剣道部に入部したものの 親の反対を押し切ってだったので 防具を買ってもらうことができず それならば自分のお金で買おうと 部活の顧問の先生に「アルバイトを許可してほしい」と直談判に。

 

結局 冬休みの期間だけと特別に許可をいただき バイトをして念願の防具を購入!

 

その頃から 反対されてもなんとか自分の力で切り開くという意思が 生まれてきたのかもしれません。

 

【イジメ体験】

中2の時の ちょっとした一言がきっかけで その当時の《不良》と呼ばれるグループのイジメの対象になりました。

 

毎日続く嫌がらせもでしたが クラス中の人たちが自分たちに矛先が向くのを恐れ 遠巻きに見ているだけだったことが 本当にキツかった!

 

その経験の中で 耳が悪く口語障害があり いつもバカにされ仲間外れにされていた女の子が「一緒に帰ろう」とかけてくれた言葉は 今でも忘れることができません。

 

本当の優しさには 強さがあるんだと その時に実感しました。

この気づきは 今の私の生き方の根っこに息づいています。

 

【高校時代】

高校に入って 最初は背を伸ばしたくて バスケ部に入部したのですが 経験のない私は基礎練だけで脱落!

結局 剣道部に入部しました。

 

毎日 朝練・昼練・通常の部活の連続で 昼練があるからゆっくりご飯を食べる時間もなく いつも早弁をしていました(笑)

夏には 立ったまま休憩すると 足元の汗の水たまりができるぐらいハードな稽古で 試合前には顧問の先生からの稽古で ボロボロ泣きながらでも食らいついていったのは 今では自信になっています。

 

あれだけのキツい稽古に耐えられたんだから 越えられないようなことは何もないと そんな信念を得られた経験でした。

 

【挫折そして方向転換】

剣道を始めたのは 実は警察官になりたかったからでした。

でも その思いは採用基準に身長が足りないということで 叶いませんでした。

 

ショックでした!本当に何のために キツい稽古を6年も続けてきたのか・・・。

 

そしてその時に じゃあどんな仕事に就こうかと考えて 思い出したのが《小学校教諭》でした。

 

小1・2年の時の担任の先生がとても優しく 憧れたということ。

そして小6の担任が 女性でありながらタバコは吸うし ガハハっと笑う奔放な先生で とても気持ちが楽になったというのも 大きな理由でした。

 

『私も人の生き方に影響が与えられるような職業に就きたい!』

そう思って方向転換し 短大の初等教育学科に入学しました。

 

【教師への道】

短大へは 高3から始めたバイトをずっと継続しながら通いました。

 

2回生の時にあった小学校と幼稚園での教育実習を通じて 子供達(特に小学生)に接することの楽しさや わからないを解るに変えるやりがいを実感!

改めて教師を目指す決意をしました。

 

教員採用試験には不合格でしたが どうしても諦められず 同級生が一般の企業への就職を決める中 大阪市の教育委員会へ行き《産休補助教員》の申請を。

 

応募者が多い中 担当者の方から 教育委員会でアルバイトをしながら 順番を待つというありがたいご提案をいただきました。

 

そのアルバイトもとてもたくさんの学びがあり 人との出会いもあり とても充実した毎日でした。

 

そうこうしているうちに 産休に入られる前の体育のみの講師として採用され 2ヶ所の学校へ赴任。その間も収入が少ないため バイトも複数掛け持ちしていました。

 

そんな中 ようやく産休補助教員として3年生の担任になり 憧れの教員になることができました!

もう毎日が楽しくて 嬉しくって♫

 

そんな中で 自分の子どもの頃の経験が生きることがありました。

 

中学生の時にイジメられたことは書きましたが 担任を持ったクラスにも 口語障害から同級生にバカにされていて いつもオドオドしている女の子がいました。

 

その子が 中学の時に私を助けてくれた友達となんだか重なって とても気になり時間があるごとに 話しかけるようにしました。

少しずつ少しずつ心を開いてくれ お話しする声も大きくなってきて 私の1年間の赴任期間が終わる頃には 大きな声でお話ができ 友達と走り回って遊べるようになっていました。

 

人はちょっとしたきっかけで 自信を取り戻しイキイキと輝くことができるのだと この経験からも学ぶことができました。

 

【北海道へ!】

産休の体育講師・1年間の担任としての赴任を終え更新が近づいてきた頃 私には迷いが出てきていました。

 

自分が学ぶ教師というのは人生の中で多くはなく 私がそうであったように人生に大きな影響を与える存在です。それが志望の動機でもあったのですが 現場に立ちいろいろな経験を通じ『私なんかがそんな大切な存在で あっていいんだろうか・・・』と悩み始めました。

 

そんな時期に 兄が結婚し 今までなんとなく『私がしっかりして両親を支えなくては!』と肩に入っていた力が抜け その時に浮かんだのが『自分のために自分らしい人生を送りたい!』との思いでした。

 

親には内緒で 当時流行り始めていたペンションの情報誌で アルバイト情報から条件に合うことでリサーチをし そして応募。

採用が決まり 親の反対と戦い《1年間だけ》という条件で 許可を得 北海道函館近郊のペンションで 住み込みで働き始めました。

 

それからは もう水を得た魚♫

毎日が楽しくて 住み込みの仲間とも打ち解け始め 冬のスキー場オープンのレストランでのお客様対応など とても喜んで頂く機会がありました。

 

一応一年で実家には戻ったのですが 北海道での暮らしが恋しく 今度は家出同然で函館へ。

24歳 ペンション暮らしの時の出会いから ご縁が深まり結婚。

 

どうしても子どもを 本当の道産子(北海道人)にしたくて 里帰りもせず3人の子どもを出産・子育てをしました。

 

【人との関わりの中で得たもの】

26歳

息子が生まれて10日も経たないうちに 函館近郊から見ず知らずの土地 千歳市へ引っ越し

育児での疲れと 以前の人間関係でトラブルがあった経験から 人と接することが怖くなり 対人恐怖症に。

 

ご近所のひと回り年上の奥さんと知り合い 少しずつ心を開けるようになり ママ友もちょっとずつ増えてきました。

 

33歳

そんなママ友から勧められ ダイアナサロンに通い始め4ヶ月で12キロのダイエットに成功

事務手伝いをしてほしいとのお誘いから パートでサロンを手伝うようになる

 

34歳

6月 引くに引けずの状況から雇われチーフに

12月 独立し 自分のサロンをスタート!

 

37歳

ひどいクレーマーのお客様とのトラブルから 精神的に追い詰められ 毎日中央分離帯を見ては『ここに突っ込んだら 楽になれるのかな・・・。』と自殺を考える日々。

周りのお客様を巻き込んで やることなすこと否定や批判をされ精神的にボロボロになりました。

 

でもそんな私が立ち直れたのは その方のグループだと思っていた一人のお客様からの「みんながみんな あなたのことを彼女が言う通りだなんて思っていないよ。頑張っているのは わかる人にはちゃんと伝わってるから 大丈夫!」一言。

 

中学の時のイジメの経験や この時の経験から《言葉は人を殺すことも 人を救うこともできる》と実感!

以来 自分は人を救い生かすような言葉をかけることを 常に頭に置くようになりました。

 

38歳

乳がんが見つかり 右乳房全摘出手術を受ける

夫からは「これからは仕事を辞め 家族のためだけに生きてくれ」と言われるものの 自分の居場所を残したいとサロン継続の意思を通した。

44歳

息子が先天性の心室中隔欠損症が心臓へ負担がかかっていることがわかり 開胸手術を受ける。

不安でいっぱいいっぱいになった息子からの「どうして元気に産んでくれなかった?」との言葉に 胸をえぐられる思い。

でも息子が一番苦しい思いをしているからと 泣きながら受け止めた。

48歳

Facebookをスタート

震災があり、安否確認に使われていたのでやった方がいいのかなと思ったので始めた。
それまでは、子供に「お母さんって友達いないよね」と言われるくらい、仕事以外の人との交流はなかった。

が、FB始めたことで、FBでつながった人から誘われるようになり、交流会に行き始めた。

 

そこから一気に仕事以外の人脈が広がった。

 

50歳

Facebookで知り合い 仲良くなった女性から ウェルスダイナミクスを教えてもらい 2月にテストを受けた。

自分自身が 同業の仲間と自分を比較し とても自信を失っていた時で テストで出てきた結果から 自分の特性を知り 何気なくしていることに価値があり そのことから自分は今まで波に乗ることができていたと 再認識できた。

 

お客様のカウンセリングに使えればと ウェルスダイナミクスプラクティショナー資格を取得

学べば学ぶほど 奥の深さと可能性を感じ より多くの方にお伝えしていきたいと考え始める。

 

12月 25年間の結婚生活にピリオド

 

51歳

2度目の乳がん&リンパ節への転移が見つかる。

 

セカンドオピニオンで出会った二人の医師から「癌はあなたが自分らしい生き方を選ぶための時間をプレゼントしてくれたんですよ」と言われた言葉をきっかけに どう生きたいかを考えた。

出てきた答えは ウェルスダイナミクスのシニアトレーナーになり 世の中にウェルスダイナミクスを正しく伝え 人のお手伝いができるようなプラクティショナーをたくさん送り出したいと シニアトレーナーになることを決意。

 

全摘出手術を受けた後 抗がん剤治療を勧められ 1度は受けたものの 自分の体と心に向き合い 一切の治療を止めることを決めた。

 

入院中に かねてからパーキンソン病で入院加療中の父が急逝

残された母のことも気にかかり サロンのチーフから退き 自由に働き方を変えられる仕事に就くことを決意。

 

その1ヶ月後 心臓の開胸手術を受けた息子が ご縁があり結婚でき 親としても本当に安心ができた。

 

52歳

息子に娘が誕生。

孫娘の産声を聞きながら

『この子たちが社会に出るときに 自分の誇れるところはこれ!と 胸を張っていられるような社会に!』との思いが なおさら強まる。

4月 ブリリアント・ガーデン株式会社設立

 

53歳

2月 いっぱいでサロンを閉店し 講師一本の道を歩み始めた

 

19年間のサロン経営では お客様からの信頼も厚く ほぼ99%お客様のご紹介や口コミのみで ほとんど営業せずに運営できた。

 

全国大会で 60代以上の部で準優勝者を輩出。

 

カウンセリングでは とても喜ばれ 当時のお客様からは「これからはチーフとメンバーではなく 友人としてのお付き合いのスタート!」との 嬉しい言葉をいただけたことは 今でも誇りに感じている。

 

5月 バースカラーアカデミー インストラクター資格取得

 

以来 札幌・東京・大阪・名古屋・福岡等 全国で様々なセミナーや講座を開催し活動している

 

54歳

昨年秋に出会ったほめ育のインストラクター資格まで トントンと取得し ほめ育活動を広めている

【ウェルスダイナミクス】

日本で4名 北海道ではたった一人のウェルスダイナミクスのシニアトレーナー(トレーダープロファイルはたった一人)

50代から資格を取得しスタートしたのは トレーナーの中でも唯一

 

【ミッション】

ひとりひとりが自分の価値に気づき 互いに認め活かしあえる社会づくり

 


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